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株式会社綱八 代表取締役社長志村 久弥さん(1/3)

『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照しながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。今回登場していただくのは、大正13年創業の老舗天ぷら専門店を営む『新宿 つな八』の3代目であり、株式会社綱八の代表取締役社長を務める志村久弥さん。新宿の地で確固たる伝統を築きながら、革新的な挑戦をも続ける志村氏ならではの世界観と、それを培った体験談をうかがいました。

東京 新宿

新宿に根差して

つな八は、創業から約90年の歴史を新宿の地で紡いでいて、3代目となる志村家の長男として私が生まれたのも、やはり新宿でした。小さいころからスポーツが好きで、じっとしていることなく外を駆け回っているような少年でした。駆けっこも速く、いつもリレーの選手でしたね。うちはいわゆる「家業」ですし、仕事の場と家との垣根がほとんど無い家庭だったので、生まれた時から店が身近にありました。父親が天ぷらを揚げる姿を常に見ていましたし、魚河岸に出かけていく父を毎朝見送っていました。父が自宅に帰ってくるときにぷんと漂うごま油の香ばしいかおりが、いまでも印象に残っています。

小さいころに親が開いてくれたお誕生日会は、家ではなく本店に友達を招いて天ぷらをふるまうというスタイルでした。店の中でかくれんぼをしたり、カウンターの上でミニカーを走らせて遊んだりする、そんな特別なバースデーはちょっと恥ずかしくもあったのですが、友達が喜ぶ姿をみて嬉しい気持ちにもなりました。

中学生や高校生になってくると、アルバイトをしたくなりますよね。実は、私はバイトは自分の店でしかやったことがないんです。そこは親父が上手でね。当時の平均の時給が600~700円ぐらいだった時に、時給1500円ぐらい出してくれたんです。そんなオイシイ仕事はないと、喜んでつな八で働いていました。皿洗い、掃除、接客となんでも一通りやらせてもらい、それが自然に仕事の下積みになっていきました。

地元の方々とも昔から仲が良かったですし、新宿で育ったというより、新宿に育てられたと言った方がいいかもしれません。小さい頃からそんな環境にあったので、自分が家業を継ぐんだという意識は、なんの抵抗もなく自然に身についていきましたね。

神奈川県 日吉

ハンドボールに熱中した高校、大学時代

小学校から大学まで慶応義塾に通っていたのですが、一番印象に残っているのは日吉キャンパスでハンドボールに熱中していたことです。中学の時はサッカーをやっていたのですが、高校、大学とハンドボール部に入っていまして、7年間ずっとハンドボールに明け暮れた生活を送っていました。三田キャンパスで学んでいた時期も、練習のために毎日のように日吉に通っていました。講義を受けた思い出ももちろんありますが、グラウンドで仲間と汗を流した記憶のほうが鮮明ですね(笑)。高校生の時は神奈川県や地区の優勝を目指し、大学になると関東リーグでの優勝を目指して、仲間と一緒に練習を重ねていました。

ハンドボールの大会にも色々出場しました。高校時代は神奈川の地区大会に出たのですが決勝で負けてしまいましてね。とても悔しかったのですが、国体には出場することができました。大学の時は関東リーグ、そしてなんといっても早慶戦に勝つというのが大きな目標でした。ここでは先輩がずっと維持してきた連勝記録をつなぐことができました。ハンドボールに熱中した体験は、努力とか忍耐とか継続といった社会に出るために大切なことを教えてくれたと思っています。だから日吉は私にとって人間としての『核』となる部分を作ってくれた場所なんです。

ドイツ

ニューカレドニア

日本代表として海外へ

ハンドボールをやっていて、良かったことはたくさんありますが、海外、しかも普段なかなか訪れないような国に行くことができたのは、特に印象的な出来事かもしれません。大学四年生の時に、学生選抜で選手に選ばれ、ハンドボールのメッカであるドイツに行ったり、南半球のニューカレドニアに遠征したりと本当に貴重な体験をさせてもらいました。大会の開会セレモニーで流れてくる君が代を聞きながら、日の丸が描かれたユニフォームを着て、異国の地に立っていると「日本の代表として戦っているんだ……」という実感がしみじみと湧いてきて、気持ちが高揚しました。

どんな試合においても、常に心にとめていたのが『克己心(こっきしん)』という言葉です。これは高校時代の恩師の田中明先生が教えてくれたのですが、己に勝つための強い精神力や、そのために目標を立てること、地道に努力することなどを、その言葉を通じて学ぶことができました。この考えは今のビジネスにも非常に役立っていて、田中先生には感謝しています。また、ハンドボールを通じて素晴らしい先輩や同期の仲間たちに恵まれました。彼らは全く違った業界にいますが、今でも情報交換をする仲になっています。少なくても年に数回は会っていますね。

東京 新宿

入社後におとずれた正念場

大学を卒業すると、そのまま綱八に入りましたが、実は入社してすぐに、とても大変な出来事があったんです。父が脳溢血で急に倒れてしまいましてね。その頃は高度経済成長期の真っただ中で、つな八も色々な場所に店舗展開を進めているところでした。まさにその時期は1カ月に3店舗出店する計画があったのですが、その矢先に父が倒れてしまったので、まだ小僧である自分が中心となってやるしかない状況に追い込まれました。

そんな時、魚河岸の人や繋がりがあった取引先の人達、先輩社員みんなに助けられて……彼らのサポートのおかげでなんとかやり遂げることができました。こうしてオープンしたのが浅草松屋店、大丸東京店、そして立川駅ビルの店舗なのですが、この3店舗は本当に思い出に残っています。みんなで協力し合って、同時出店を果たせたことは、達成感がありましたし、この経験は、経営者として一回り大きくなるきっかけになったと思っています。

もちろん、現場にも立ちました。24歳ぐらいのときから5年間はずっと調理人として厨房で天ぷらを揚げていましたね。思い返せば、学生の時にアルバイトで接客をしたり、入社後に調理を担当したりして、現場の様々な役回りを知ったという経験は本当に大事でしたね。従業員に接する時に、自分が理解している仕事であれば、より相手の立場にたって考えることができますから。だからこそ、窮地に追い込まれても、皆がついてきてくれるんだと思っています。


店舗情報

天ぷら新宿つな八

www.tunahachi.co.jp

つづく