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アパホテル株式会社 代表取締役専務元谷 拓さん(2/3)


>『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照しながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。今回登場していただくのは、独自のスタイルを貫きながらホテル業界で大躍進を遂げているアパホテル株式会社の代表取締役専務、元谷 拓さん。創業家に生まれて家業を継ぎ、今現在に至るまでの体験談や転機となった出来事、今後描いている未来地図についてうかがいました

東ヨーロッパ

海外で改めて感じた日本の良さ

大学生時代、海外に出かけることもありましたが、東ヨーロッパ5か国を巡った体験は、日本の良さを再認識したという面でとても印象的な旅でした。テレビ局の招待ツアーだったのですが、代表が忙しくて行けないために、自分が行くことになったんです。ルーマニアやチェコなどを回りましたが、歴史的背景も複雑で、物乞いがいたり、車にいるだけでモノを売りつけられたリ、食べ物が口に合わなかったり……大学生の自分にとっては正直結構つらい体験でした。西に行くにつれて食べ物が美味しく感じられるようになりましたけどね(笑)。

でも、そうやって異国の地を見て回ってはじめて、日本の良さというのを改めて実感することができたんです。治安が良いとか、水が多いとか、電車が時間通りに来るとか、譲り合いの精神があるとか……そんなことは当たり前のことに思っていましたけど、実はとても恵まれた環境だったのだということを、思い知らされました。そして、日本の常識は全く世界では通用しないということも、痛感した体験でした。

ギリシャ アテネ

アテネオリンピックの思い出

創業者である父は、ケタはずれに好奇心旺盛な人で、世界の政治・経済・文化・軍事・教育などに幅広い分野に目を向けて、世界の政治家やジャーナリストとディベートをするのが好きな人でした。キューバに行って、フィデル・カストロと会うとか、ありえないようなことを30年ぐらい前にやっていましたね。また、父はオリンピックが大好きで、各国のオリンピックの開会式や閉会式には必ず参加しているんです。私もアテネオリンピックと北京オリンピックには一緒に行きましたが、ちょうど水泳選手の北島康介が金メダルをとったときに観戦していたアテネオリンピックは、とても印象に残っています。試合は素晴らしかったけれど、ホテルの値段が高くてね。ペンキ塗りたての過ごしにくい部屋でも、オリンピックシーズンは通常の10倍ぐらいに跳ね上がるんですよ。自分たちもホテル業をしていますけれど、そこまで思い切った値上げをするなんて、驚きでした。

アテネは気温が40度ぐらいあってとても暑かったのですが、父はそんなことはものともせず「暑いからノルウェーに行って涼んでから帰るぞ」なんて言いだしましてね。それから本当にノルウェーに行ったのですが、寒すぎて風邪ひきそうでしたよ(笑)。そんな代表の元で育ち、色々なところに行きましたし、色々なホテルにも泊まらせてもらいましたので、その体験は多少なりとも、今に繋がっているのではないかと思っています。

愛知県 名古屋市

縁もゆかりもない土地へ

名古屋での3年間のサラリーマン経験は、いまでも役に立っていますし、とても貴重なものだったと思います。1年目は、出納係というお金の出し入れをする厳しいお姉さんの補助を務め、ひたすらお金の出入りのチェックをしていましたね。日銀担当もしていたので、毎日現金輸送車で日銀まで行き、お金の出し入れもしていました。2年目は融資係を担当し、手形を扱ったり、お金の貸し出しをしたりする業務をメインに行っていました。3年目は得意先係になり、主に担当エリアの営業をしていました。営業車でお客様のもとをまわりながら集金をしたり、何か需要がないかとおうかがいをする仕事でした。

思い出深い仕事といえば、名古屋国際女子マラソン(現:名古屋ウィメンズマラソン)の外国人招待選手に渡す現金を円からドルに換金するという案件を担当していたのですが、それを大手の他行から北陸銀行に振り替えてもらったのはよく覚えています。また、銀行振り込みがまだ当たり前ではなかった頃に、大相撲名古屋場所を担当していたのですが、封筒に入れたお金を、現金輸送車で日本相撲協会さんの名古屋場所担当の方にお届けに行ったりもしていました。集金先の愛知県体育館で、本番終わった後のゼイゼイいっている力士とドンとぶつかって、ビックリした体験もありました。3年間の銀行での経験のおかげで、資金繰りはじめ、ビジネスに必要不可欠な経営センスを多少なりとも身に着けることができたのではないかと思っています。

名古屋独自の食文化に触れる

今では、名古屋メシもブームになってきていて、「台湾ラーメン」なんてよく知られていますが、当時は何だろう?と思っていましたね。名古屋なのに台湾って、よく分からないですよね(笑)。 でも結構ハマッてしまって「亀仙人」という中華によく通っていました。「味仙」も美味しいんですけれど、ちょっと自分には辛すぎるかな。あと、「マウンテン」というところ、ご存知ですか?スパゲッティとあんこを一緒に食べるような個性的なメニューばかりで、あれは衝撃的ですよね。いずれにせよ、行員時代には、名古屋ならではの面白い食文化も経験することができました。。

東京 港区

サラリーマンから最年少取締役へ

北陸銀行でサラリーマン生活をしながら、「兄もいるけれど、自分もどこかで実家のビジネスに関わっていかなくてはいけないだろうな」という気持ちは、なんとなく持っていました。そして3年間銀行を経験して25歳になったときに、「親孝行しなければ」という想いに押され、家業に入ることを決意したのです。従業員もホテルもだいぶ増えてきていましたので、継承して学んでいくためには早いほうがいいだろう、と一念発起し、取締役としてアパグループに入社しました。ちょうどその頃、53歳の母が東京の大学に合格し通いはじめるタイミングだったので、自分も金沢に帰るのではなく東京で母と一緒に暮らすことになり、東京都港区に引っ越しました。

もちろん、当社の中では最年少役員でして、いま自分は40歳ですが役員歴はもう15年ほどになります。25歳の時から役員会にずっと出席させてもらって、代表の考えを間近で聞き、彼のビジネス感覚から色々なことを学びました。役員をしながらも配属される部署は色々と変わるのですが、いまは法人営業部というところで、各法人企業さんとウィンウィンになれる関係づくりに注力しているところです。


企業情報

APA GROUP

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つづく