茂木社長

マンズワイン株式会社 代表取締役社長茂木 信三郎 さん(1/3)


『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照しながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。今回登場していただくのは、キッコーマン株式会社にて醤油の海外普及に努め、現在は子会社マンズワイン株式会社にて日本ワインの啓蒙に勤しむ、同社社長の茂木信三郎さん。豊富な海外経験を持つ茂木社長ならではの各国での体験談や、日本ワインにおける今後の展望をうかがいました。

千葉県 野田市

キッコーマン発祥の地で生まれて

私が生まれたのは、キッコーマン発祥の地でもある千葉県の野田市です。キッコーマンは来年で会社設立100周年を迎えますが、設立する前からこの地で350年間もの歴史を紡いでいまして、昔から野田は「醤油の町」と言われていました。「野田市の駅でおりると醤油の香りがする」と言われるくらい、野田では醤油が浸透していたんです。まぁ、これは駅の目の前に醤油工場があったからなんですけどね(笑)。

もちろん、生まれた時から醤油はとても身近なものでして、昔から今まで何にでも醤油をかけて食べるクセは変わっていません。目玉焼きは何をかけて食べますか?私はもちろん醤油派です。今でも目玉焼きに限らず、フライとか、どんなおかずにもすぐに醤油をかけて食べてしまうので、「まず一口そのまま食べてみてからね」といつも妻に怒られます。

小学校まで野田にいましたが、高度経済成長期であり、まさにベビーブームのピークだったので、小学校では一学年にクラスがとてもたくさんありました。多くの児童の中で、私はあまり目立たない子供でしたね。ただ、かけっこだけは得意でして。当時、丸い顔をしてボーッとしている子だったから、「足が遅そう」と思われがちだったんですが、走らせてみると意外に速くてよく驚かれました。学校代表のリレーの補欠選手に選ばれたりもしましたね。

東京 世田谷区 下馬

マイペースに過ごした中高時代

中学~大学にかけては慶応義塾に通うため、実家を離れて、世田谷区下馬にある知り合いの家に下宿していました。東急線の学芸大学のあたりですね。今ではこのあたりもかなり雰囲気が変わりましたが、昔は畑なんかもあって、とてものどかなところでした。できたばかりの駒沢公園が近かったので、散歩やランニングに行ったりもしていました。部活ではバレーボールをしていましたが、弱小チームでして、全国大会には出られませんでしたね。今みたいに娯楽もそれほど多くはありませんでしたので、読書をしたり音楽を聴いたりして過ごすことが多かったです。勉強も嫌いなわけではないのですが、そんなに一生懸命しませんでしたね。いや、好きじゃなかったのかな(笑)。今考えてみたら、中学生から学生の頃は、少し「変人」というか、変わった子だったのだと思います。みんなと同じことをするのが好きではなく、一人でいるほうが気楽でした。団体行動があまり好きではなかったので、多くても2,3人で行動することが多かったですね。よく言えば、まわりに流されず、比較的自立していたのかもしれませんが。

高校を卒業するまではキッコーマンに入ることは全く考えていませんでした。少しずつ意識するようになったのは大学に入ってからです。

三田

慶応義塾時代の思い出

中学の3年間と、大学の3,4年は慶応の三田・田町の校舎に通っていました。駅の近くに森永のビルがありまして、その1階がレストランになっていてね。ホットケーキなんかを食べるのが楽しかった記憶があります。甘いものを食べるのは、当時大きな楽しみだったのでしょうか。学校の近くのあんみつやさんや、お汁粉やさんにもよく通っていましたね。あ、でも校則では本当は禁止されていたんですけれど(笑)。

日吉

高校の3年間と大学の1,2年は日吉の校舎に通っていました。運動部だったので、町の中をよくランニングさせられました。特に日吉の餃子屋とかラーメン屋はよく通っていたので思い出深いです。意外かもしれませんが、学生のときはそんなにお酒を飲まなかったですね。今みたいに「合コン」とか「飲み会」とか、そういうコンセプトの会が無かったですし、ましてやワインなんて全く浸透していませんでしたので。

インド

初の海外旅行

大学の時、初めての海外旅行に行ったのですが、旅先として選んだのがインドでした。就職すれば、アメリカもヨーロッパも出張で行く機会があるだろうから、「絶対行くことがなさそうな国にしよう」と思ってこの国に決めたんです。でも結局、仕事でインドも担当になり、3,4回は訪れるハメになったんですけどね。行きは世界一周の航海をしているイギリスの船に乗り、神戸、香港、シンガポール……とまわってインドへ向かいました。船の中にはいろいろな人が乗っていて、印象深いことがたくさんありましたが、とくに「完全な階級社会」というものを見せつけられたのがこの時です。自分は二等船室に乗っていたのですが、全く一等のゲストと扱いが違っていましてね。二等の我々は一等のデッキには決して行くことができないんです。こういった扱いの違いを実体験で知ったのは、このときが初めてだったかもしれません。

インドに着いてからも、衝撃的なことがたくさんありました。なんせ、ほぼ毎日宿泊費50円から300円ぐらいの安い施設で寝て、たまにホテルに泊まって……という貧乏旅行でしたからね。安いところだと、受付で薄っぺらのシーツを2枚だけ渡されるんです。どう使うかというと1枚を下に敷いて、もう1枚は体に掛けるのですが、そこで寝るのはなかなか辛かったですね。もちろん枕すらありませんでした。そんな旅を続けているうちに、高熱をだしたりもして、当初67キロあった体重が59キロまでに落ちてしまいました。

2ヶ月の行き当たりばったりの旅でしたが、そこでいろいろな人との触れ合いもあり、思い出深い滞在だったと、今となっては思います。学生時代に海外に行ったのはこの1回だけでしたが、このインド旅行の体験がこれから先の海外生活にあたっての良い肥やしとなったのではないかと感じています。

つづく

企業情報

マンズワイン株式会社

www.kikkoman.co.jp/manns/