田中社長プロフィール

株式会社電算システム 代表取締役社長執行委員COO田中 靖哲 さん(2/3)


『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照しながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。今回登場していただくのは、総合型情報処理サービス企業として確固たる地位を築いている「株式会社電算システム」代表取締役社長執行役員である田中靖哲さん。岐阜を拠点に世界に向けて展開するオンリーワン企業に導く手腕に迫ると同時に、それを培った経験談をうかがいました。

岐阜県 司町

土台をつくる喜び

岐阜に戻ると、宮崎での学びを様々なサービスに活かしていくべく、積極的に様々なシステム開発に努めました。当社の主業務のひとつに、ガソリンスタンドの情報処理がありましたが、そこにも宮崎で学んだことを活かすべく、IBMのシリーズワンを取り入れていくことになります。ガソリンスタンドではPOSシステムという機械にカード情報がおさめられるのですが、1日の業務が終わり、IBMのシリーズワンからPOSシステムに電話をすると、自動的にPOSの電源が入り、そこから1日にたまった情報がすべて送られてくる……という流れを確立させました。IBMのシリーズワンを取り入れたことにより、これらの一連の動きを自動的に行うことが可能となったのです。

そのころはまさに「オンライン通信の黎明期」でしたから、POSメーカーとどのような手順で情報を取りに行くかということを、何もない状態から決めることができました。こうして出来上がったのが「POSオンライン・サービス」です。今までにはないゼロからの状態で新しいものを作り出すという挑戦は非常に面白く、「土台をつくる喜び」を知ったのもこの頃でした。

岐阜県 日置江

更なる挑戦

会社では1984年に、日置江に新社屋が完成。オンライン通信のサービスをさらに積極的に展開していきました。特に印象に残っている仕事は、NECの汎用コンピューター(ACOS)とつなぐ端末エミュレーターを開発したことです。きっかけは1991年、宮地社長(現会長)が会合に出かけた時に、とある会社から相談され、その案件を会社に持ち帰ってきたのがはじまりです。当時、それぞれのメーカーの汎用コンピューターは、同じメーカーの専用端末しか使用できないといった問題がありました。IBMや富士通の場合は、OSや通信の仕組みが非常によく似ていて、情報も公開されていたのですが、NECは情報がクローズされているため、ACOSにつなぐ端末ソフトの開発は非常に難しい状況だったのです。

ちょうどそのころ、会社では「情報技術研究所」というのができたばかりで、私はそこを取りまとめる役割でした。宮地社長からその開発が可能かどうかを聞かれて、ACOSを徹底的に解析しました。そして「できる!」と確信し、その開発を決めたのです。それはまさに、情報技術研究所の初仕事でした。

もちろん、様々な問題もありました。そもそもNECのエミュレーターを当社が開発することをNECさんが認めてくれるのか……という話になり、宮地社長と一緒に開発許可をとりに行ったこともあります。NECさんは「NECからの情報開示はしない」という条件で、作ることを認めてくれ、実施に踏み切ることができました。試行錯誤がありましたが、完成したときは本当に嬉しかったですね。最初はUNIX というOSとつなげる形でつくったのですが、UNIXは当時とても値段が高かったのでそれほど売れませんでした。そこからマイナーチェンジを重ね、パソコンに直接つなぐ形にしたところ、とてもよく売れるようになりました。この製品はロングセラーになり、「純正エミュレーターよりもいいよね」という意見をいただいたときは、開発者冥利につきましたね。

イスラエル

もっと、世界に目を向けて

仕事で訪問した印象的な場所はイスラエルです。取締役に就任した翌年の1998年、岐阜県の企画で、岐阜の視察団の一人としてツアーに参加させていただいたのです。実際に訪れてみて、様々な発見がありましたね。当時我々は、主に国内に目を向けていたのですが、イスラエルは「世界へ売ろう」という国際的な視野が早いうちから確立されていることに驚きました。とある翻訳ソフトを制作している会社にも訪問しましたが、その翻訳ソフトについて「あなただったら幾らで売りますか?」と聞かれて、ちょっと戸惑った思い出があります。今や翻訳ソフトも進化していますけれど、その頃はやはり最先端のサービスだと感じましたね。イスラエルは技術やビジョン含め色々な面で進んでいて、本当に良い刺激になりました。

イスラエルでの会社訪問の後は、エルサレムやパリにも立ち寄りました。ユダヤ教の聖地でもある「嘆きの壁」では、皆が一心不乱に壁に向かってお祈りしているのを見て、その信心さが強く印象に残りましたね。パリでは、ルーブル美術館やベルサイユ宮殿などの主要な観光名所を回ることができました。

岐阜県 加賀野

更なる進化を求めて

同じく1998年、大垣市の加賀野に当社のテクノセンターができ、情報技術研究所もそこに移りました。本社から20分ぐらいのところです。そこはソフトピアジャパンといって岐阜県の情報産業の集積地で、先端研究が盛んでしたので共同研究といった形で、岐阜大学はじめ幾つかの大学とタッグを組み、様々な研究・開発を進めていきました。

特に印象的なのは「トータルモニタリングシステム」という監視カメラのシステムの開発に努めたことです。当時監視カメラはアナログで繋いでいたのですが、ちょうどLANに代わっていく時期でしたので、そこに対応するシステムを開発してほしいという需要が出てきたのです。LAN上にながれる映像を録画できるか……ハードディスクにかけるか……といったことを、試行錯誤しながら研究して、トータルモニタリングシステムを作り上げました。このシステムはいまだにそのメーカーの標準システムとして利用されています。

もう一つ思い出深いのは、中古車オークションの為の、新しい「セリ」の仕組み、インターネットリアルオークションシステムの開発です。もともと岐阜の羽島というところにセリ会場があり、そこにシステムを導入していたのですが、「実際に会場に行かなくてもインターネットでセリに参加できるようにしたい」という依頼があり、その研究開発に努めました。これは相当苦労しましたね。セリはタイミングが非常に大切で、数秒遅れるだけで致命的です。そのスピードにインターネットがついていくようになるまでが大変で、商品化されるまで3年もの開発期間を要しました。難しい課題でしたが、とても面白い仕事だったと感じています。新しいものを作り出すことは、とても嬉しく興味深いことでしたから。

つづく

企業情報

株式会社電算システム

www.densan-s.co.jp/