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株式会社プラネット 代表取締役会長玉生 弘昌さん(1/3)

『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照にしながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。第一回にご登場いただくのは、流通業界にこれまでにない情報インフラストラクチャーを構築した、株式会社プラネットの代表取締役会長 玉生弘昌氏。その斬新な発想と先見の明は、どのような場所で養われてきたのでしょうか。

埼玉県 浦和

部活動で経験を積んだ高校時代

生まれたのは川越で、9歳の時に浦和に引っ越し、そこで小・中・高校生活を送りました。通っていた浦和高校は公立の男子校でしたが、そこで過ごした日々は特に印象に残っていますね。日本スーパーマーケット協会会長の川野幸夫さんや、宇宙飛行士の若田光一さん、幕僚会議議長の石川亨さん、日本生命の会長の岡本圀衞さんなど、色々なリーダーを輩出した高校です。

部活は山岳部に入りましてね、毎週のように秩父にいきました。夏は20キロもある荷物をしょって南アルプスを歩いていました。2週間ぐらい歩くと「山ボケ」するんですよ。自分の家の電話番号を忘れちゃったりするの。一方で物理部に入っていて、放射線の研究をしていました。「ウィルソンの霧箱」って知っていますか?放射線の飛跡が分かる簡単な研究装置があって、それを使って研究していました。ずっと見ていると宇宙線が見えるのだけど、そこに蛍光塗料がついた時計を入れて、アルファ線やベータ線を研究するんです。もともと理科系のアタマではありましたが、浦和高校時代に数学や物理で鍛えられたおかげで、論理的思考が身に付いたかもしれません。

新宿区 高田馬場

人脈を紡いだ学生時代

浦和高校からは理数系の大学に行く仲間が多かったんですが、自分は早稲田の政治経済学部へ行きました。そもそも経済がやりたくて入ったわけではないのですが、一応早稲田では有名な学部でしたからね。そのころ学んだことは仕事にはそんなに役立たなかったけど、大学時代は色々な人との繋がりができました。同級生は、政治評論家の福岡政行とか 辻・本郷 税理士法人の本郷孔洋、元三菱証券社長の中澤信雄がいましたね。いずれにしても、政治経済の勉強はそんなに頭に入っていませんでした(笑)。むしろ今のほうが興味があるくらいです。

学生時代も山に登りたかったけれど、おふくろに懇願されて山岳部は諦めて、しょうがないからスキーをやっていました。早稲田大学の部活動ではなく、新宿高校のOBが集まっている『ファウルペルツ』というスキークラブに入っていたのですが、そこは女性も多くて楽しかったですよ。そこに荒井睦子さんという聡明な「東大の歌姫」がいましてね。彼女のお兄さんが、荒井伸也さんという方で、スーパーマーケットチェーン「サミットストア」の元社長で、映画『スーパーの女』の原作となった小説「スーパーマーケット」を安土敏というペンネームで書いた方です。荒井伸也さんとは仕事をはじめてから知り合ったのですが、まさか睦子さんと兄弟だと思わなかったので、あとから知って驚きました。ファウルペルツの会のメンバーは、いまはスキーはしませんが、川柳クラブとして活動しています。幹事が川柳を集めて週刊文春に投稿するんですが、たまに掲載されたりもしますよ。

千代田区 九段

原安三郎氏との出会い、そして就職。

学生時代に経験した、人生の転機となった出来事のひとつが、ライオン油脂への就職のきっかけをつくってくれた原安三郎さんとの出会いです。日本化薬の会長を務められていた実業家ですが、彼は日曜日は学生に会う日にされていたので、良く通っていたんです。靖国神社のすぐ近くに原さんのご自宅がありましてね。おじゃますると玄関に書生さんがいて、応接間に通されて、とらやの羊羹とお茶を運んできてくれるんです。そのあと奥さんが出てきて大学のことや勉強のことを色々聞かれて。そして最後にようやく原さんが登場して色々と話をするんですが、「日本経済についてどう思っているか?」とか、当時は難しくて答えられないような質問が多かったですね。で、いよいよ大学卒業を控えて就職を考えている時にも原さんに相談したんです。TBSとか伊勢丹とか色々な候補も出たのですが、化学工業の分野ではライオン油脂が非常に研究熱心だからと薦めてもらいました。

原先生は当時ライオン油脂の社長だった小林寅次郎さんも知り合いでね。直接社長に会いませんでしたが、秘書部長や人事部の方を紹介してくれたんです。で、入社試験を受けて1968年に入社しました。当時、新入社員は大卒だけで50人、高卒は100人ぐらいいましたが、新入社員を集めた昼食会で自分が社長の隣の席だったんです。緊張しましたが、社長と直接話ができたのは嬉しかったですね。そのあと原先生も小林社長も亡くなられましたけど、原先生に「化学工業の役に立つ人間になれ」と言われたのはずっと印象に残っています。

東京都 墨田区

社会人としての新たなスタート

新入社員の時、最初に配属されたのはマーケティング部の販売企画課というところでした。そこは販売計画をたてるマーケティング部のなかでも中核的な存在のセクションでしたね。商品別に月毎の販売数量や金額を表にしなくてはいけないんですが、当時はエクセルなんてありませんし、電卓が会社で3台あっただけなので、そろばんで計算して表をつくっていました。そろばんはある程度できたのですが、なかなか計算が合わなくてね……。割り算をするのに一晩かかったりして、悪戦苦闘していましたよ。

そんな中、入社2,3年目の頃でしょうか。マーケティング部の市場調査課にはじめてヒューレットパッカードのデスクトップコンピューターが入ったんです。「これは使えるんじゃないか?」と思ってね。マニュアルを借りて読み込んで、ベーシック言語を独学で覚えてエクセルのようなプログラムを作りました。それを使ってみると、これまで作成していた表が格段に早くできたんです。しかも、数字が変わった時の修正作業が驚くほどにラクになりました。それをきっかけに総合管理部というところに転属し、本格的な事業計画を担当することになります。

新部署での目覚ましい活躍

総合管理部では、販売計画にはじまり、物流計画、生産計画、購買計画、資金繰り計画、そして損益計画に至るまでを管理していました。当初はそれらを計算してまとめるのに、徹夜して2か月半はかかっていたんです。それでは大変だと思い、それぞれの担当者を集めてベーシック言語を教え、活用することで事業計画をたてるスピードを短縮させました。事業計画をたてるのに時間を要するのは経営の硬直性につながりますから、そこを抜本的に改善したんです。

その後、ライオン油脂とライオン歯磨きが合併した時も、「使用するコンピューターをIBMにするべきだ」と社長に提案して、当時使っていたメーカーからIBMに変えさせたことがありました。まだ係長にもなっていないのに、生意気にも色々と口出ししていましたね(笑)。でも、社長もちゃんと意見をきいてくれて、良いと思ったものはしっかり反映してくれる方でした。それは嬉しかったですし、自信に繋がりました。

つづく