田中社長プロフィール

株式会社電算システム 代表取締役社長執行委員COO田中 靖哲 さん(3/3)


『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照しながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。今回登場していただくのは、総合型情報処理サービス企業として確固たる地位を築いている「株式会社電算システム」代表取締役社長執行役員である田中靖哲さん。岐阜を拠点に世界に向けて展開するオンリーワン企業に導く手腕に迫ると同時に、それを培った経験談をうかがいました。

東京都 中央区 八丁堀

より働きやすい環境を目指して

2010年には、事業拡大に伴い、東京本社機能の充実を図るために「八丁堀」に東京本社を移転しました。東京駅からも近く、日比谷線の駅が目と鼻の先にあるとても便利な場所という理由から、この地に目を付けたのです。そして2011年、代表取締役に就任し、東京と岐阜を往復する生活がはじまりました。今も拠点は岐阜ですが、なるべく週に2日――木曜日と金曜日は東京に行くようにしています。

東京本社では、リフレッシュルームを設けるなどして、社員同士が積極的にコミュニケーションをとれるような場所を充実させました。「女性が働きやすい環境」を目指し、女性の意見を積極的に取り入れるようにしていったのもこの頃からです。月1回、昼食会を開催し、社員4人ぐらいをランダムに呼んで、彼らと昼食をとりながらざっくばらんな意見を聞く、という試みもはじめました。

岐阜県 土岐市

災害に負けない基盤づくりを

ちょうど代表取締役に就任したタイミングで起こったのが、日本を震撼させた東日本大震災です。当社自身は震災の影響はそれほど大きくはありませんでしたが、地盤が強固で津波が来ないところを意識し、岐阜県の土岐に「T-IDC」というデータセンターをつくることを決めました。そこは、当社の基盤システムを運営しなくてはいけないため、もし大地震があっても耐えられるように免振装置を入れる必要がありました。ただ、なるべく無駄がないよう、大きい建物ではなく、小さい建物で免振の施設がつくれないのか……ということになり、小さなモジュールを何個か建てることになったのです。結局、電源や監視は別棟にして免震を施したモジュールをまずは3個建て、モジュール内にラックを置き、そこにコンピューターを積む、という形でデータセンターが完成しました。この発想は集積率が非常に高くなった今、実を結び、大きな建物を作るよりもはるかに効率がよい仕組みを作ることができたと実感しています。

フィリピン マニラ

フィリピンでの挑戦

我々は、今は東南アジアに目を向けていて、当社の収納代行の仕組みを海外に展開できないかということを考えています。そして見つけたのが、フィリピンのマニアにあるCBCIという収納代行の会社です。親会社に財閥系のメラルコという電力会社をもつ大手企業でして、最終的にはこちらと資本提携をする運びになりました。CBCIとしては新しい収納代行の拠点ができる、一方当社としては日本の仕組みをフィリピンに持っていける、ということで、互いの利点が合致したのです。

今年フィリピン視察にも訪れました。親会社のメラルコにも行きましたが、敷地一角に本社や子会社はもちろん、体育館までが併設されていて、その規模の大きさには驚きました。フィリピンは街全体の活気がすさまじく、今まさに成長しているというのを肌で感じることができました。ただ、交通渋滞はひどかったですね。私がフィリピンの大統領だったら、まずは、交通渋滞の改善に努めようと思いますが(笑)。もちろんフィリピンを皮切りに、他の国への展開も視野に入れています。ただし、四方八方に手を広げすぎるのも危険ですから、まずはフィリピンでの事業を成功させることに注力したいと思います。

ヨーロッパ

ヨーロッパへ

今はテロが多発しているので、なかなか気軽に海外に足を運べませんが……時間ができたらゆっくり巡ってみたいのがヨーロッパです。仕事では今後もアジアばかり訪問することになるでしょうから、プライベートではヨーロッパにひときわ憧れがあります。決まった国は特にないのですが、ヨーロッパ各国を巡ってそれぞれの歴史や文化をじっくり感じられたらいいですね。早く安心して世界を巡れるような世の中になってほしいと、心から思っています。

方針を決めること

今の若い人たちに伝えたい事は、「まずは方針を決める」ということです。これは、企業でも、部でも、課でも、個人でも、組織の大きさ関係なく言えることで、目的をしっかり達成するためには、綿密に方針を決めていくことがとても大切です。方針が決まったら、そこに向けて邁進すればいいわけですから。もちろん、ただやみくもに突き進むことができるのも若さの特権ですが、そこに自分なりのビジョンをしっかり取り入れることで、思い描いた目標が実現する可能性は増大するのではないでしょうか。今後の皆さまの活躍に期待しています。


企業情報

株式会社電算システム

www.densan-s.co.jp/

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専務プロフィール写真

アパホテル株式会社 代表取締役専務元谷 拓さん(1/3)


『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照しながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。今回登場していただくのは、独自のスタイルを貫きながらホテル業界で大躍進を遂げているアパホテル株式会社の代表取締役専務、元谷 拓さん。創業家に生まれて家業を継ぎ、今現在に至るまでの体験談や転機となった出来事、今後描いている未来地図についてうかがいました

石川県 小松市

北陸の地で培われたビジネス感覚

私が生まれたのは石川県の小松市です。小松空港がある、金沢に次ぐ第二の都市として知られていますが、10歳までここで暮らしていました。創業家に生まれたわけですが、当時はホテル事業はやっておらず、木造や鉄骨鉄筋の戸建てのハウスメーカーを営んでいました。今となっては開業予定含めホテルを約180店舗まで展開するようになり、決算上は44年間連続黒字経営を続けていますが、我々の原点は注文住宅事業であり、そこからアパグループはスタートしているんです。

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株式会社綱八 代表取締役社長志村 久弥さん(1/3)

『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照しながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。今回登場していただくのは、大正13年創業の老舗天ぷら専門店を営む『新宿 つな八』の3代目であり、株式会社綱八の代表取締役社長を務める志村久弥さん。新宿の地で確固たる伝統を築きながら、革新的な挑戦をも続ける志村氏ならではの世界観と、それを培った体験談をうかがいました。

東京 新宿

新宿に根差して

つな八は、創業から約90年の歴史を新宿の地で紡いでいて、3代目となる志村家の長男として私が生まれたのも、やはり新宿でした。小さいころからスポーツが好きで、じっとしていることなく外を駆け回っているような少年でした。駆けっこも速く、いつもリレーの選手でしたね。うちはいわゆる「家業」ですし、仕事の場と家との垣根がほとんど無い家庭だったので、生まれた時から店が身近にありました。父親が天ぷらを揚げる姿を常に見ていましたし、魚河岸に出かけていく父を毎朝見送っていました。父が自宅に帰ってくるときにぷんと漂うごま油の香ばしいかおりが、いまでも印象に残っています。

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株式会社プラネット 代表取締役会長玉生 弘昌さん(3/3)

『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照にしながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。第一回にご登場いただくのは、流通業界にこれまでにない情報インフラストラクチャーを構築した、株式会社プラネットの代表取締役会長 玉生弘昌氏。その斬新な発想と先見の明は、どのような場所で養われてきたのでしょうか。

水道橋

プラネットの勝因

そこから様々なメーカーにサービスを浸透させていきました。競合他社を一気に巻き込む為には知恵がありましてね。卸店と通信をすると非常に大きな利点があるということを明確にメーカーに伝えたんです。メーカーにとっては受注係が必要ないので人件費もおさえられますし、伝票もいらなくなります。 (さらに…)

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株式会社プラネット 代表取締役会長玉生 弘昌さん(1/3)

『私の地図帳』は、様々な分野で活躍するリーダーにインタビューし、地図を参照にしながら人生の軌跡を追っていく波瀾万丈伝です。第一回にご登場いただくのは、流通業界にこれまでにない情報インフラストラクチャーを構築した、株式会社プラネットの代表取締役会長 玉生弘昌氏。その斬新な発想と先見の明は、どのような場所で養われてきたのでしょうか。

埼玉県 浦和

部活動で経験を積んだ高校時代

生まれたのは川越で、9歳の時に浦和に引っ越し、そこで小・中・高校生活を送りました。通っていた浦和高校は公立の男子校でしたが、そこで過ごした日々は特に印象に残っていますね。日本スーパーマーケット協会会長の川野幸夫さんや、宇宙飛行士の若田光一さん、幕僚会議議長の石川亨さん、日本生命の会長の岡本圀衞さんなど、色々なリーダーを輩出した高校です。

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